7月13日「今日の礼拝堂」
聖霊降臨後第5主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」: 神様。御子の十字架と復活によって私たちは贖われ、永遠のいのちに与ります。あなたの愛と導きによって、私たちを世に遣わしてください。 救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○聖霊降臨後第5主日 説教
「わたしの隣人とは」
申命記30:9-14 コロサイ1:1-11 ルカ10:25-37
この物語では、このサマリア人が半死半生の旅人を大変よく気遣いっている様子を生々しく、克明に伝えます。この人は、倒れている人を目にすると考えるよりも先に動きます。ぼろぼろにされて打ち捨てられている人への同情心が彼を動かしたのでしょうか。もちろんそれもあると思いますが、この人が動いたのは、傷んでいる人を救護しなくてはならない、という義務感もあったのでしょう。冒頭の問答で、誰もが知っている律法の教えの実践ですね。この人は、単に知識として律法を学んでいたのではなく、その心にも神の言葉を刻んでいたのでしょう。だから、彼は考えると同時に、否、考えるよりも先に行動できたのではないかと思います。
このサマリア人の振る舞いを見聞きする私たちは、隣人を愛するという時、そこにはその人に心を寄せる一時の気持ちの高ぶりだけでなく、冷静さや、組織力、様々な判断を下す能力などが必要であることに気づかされます。また、祭司やレビ人の振る舞いを見ると、憤り、非難したくなるかもしれませんが、彼らがそれに気づくことができなかったように、私たち自身にもそのような面があるのではないかとも考えさせられるのではないでしょうか。
すぐそこに、痛めつけられ、傷つき倒れている人がいても、目を逸らし、ルートを変えて遠回りした祭司やレビ人のように、私たち自身も立場、民族、過去、イデオロギーへのこだわり、偏見などによって、その人の痛みに思いを寄せることなく、むしろ無視することを正当化してしまっているかもしれません。あるいは見えなくなっていることにすら気づいていないではないでしょうか?私たちは私たちの行動によって食い止めることができたはずの多くの苦難を、心が動かされなかったためにそのまま放置してきたことを今思い知らされています。ガザをはじめとしたパレスチナの現状はその最たるもの、また日本において非正規滞在者とされてしまっている日本国籍を持たない人たちへの根強い偏見とバッシングについて、私たちはどのように受け止め行動するべきでしょうか?
主イエスはこの物語を通して、隣人愛の義務は人種や宗教の近さとは無関係であり、人間性と同じくらい広いという教訓を浮き彫りにしています。負傷した男性はおそらくユダヤ人だったでしょうが、彼の国籍が言及されていないことは重要です。彼は「ある人」であり、それだけです。サマリア人は彼を助ける前に、どこで生まれたのか尋ねませんでした。主は悲しみや困窮、同情や助けには国籍は関係ないと教えておられるのです。
そしてこの物語において、助け手をサマリア人とすることで、大きなインパクトを与えます。ユダヤ人たちとのやり取りの中に「サマリア人」という名称を持ち込んだのは大胆な試みです。それは、質問者がとうとう最後まで「サマリア人」と口にすることをためらったことからもよくわかります。主はこのたとえ話を通して、慈悲、愛、憐れみについては無制限。限界突破であることを示されます。そして、愛の実践においては、隔ての壁は取り除かれる、ということを教えられているのです。それは、何よりもご自身が肉体を持った人として、この世に降り、私たちと共に生き、友となられたことによって開かれた私たちの進むべき道そのものです。主は私たち人間がどれほど遠く離れていても互いに隣人となり得ることを示されているのです。(岡田)


《 来週の礼拝 》
#7月20日 午前10時30分 聖霊降臨後第6主日 礼拝
*司 式:小泉 基牧師
*説 教:小泉 基牧師「わたしだけの恵み 」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:青木比呂子さん
*礼拝当番:秋田直枝さん
*聖 書:創世記 18:1-10a (旧23) 、 コロサイ 1:15-28 (新368)、ルカ 10:38-42(新127)
* 讃 美 歌:増補35番、402番 、199番、

