4月20日「今日の礼拝堂」
主の復活主日 イースター 礼拝
今週の「つどいの祈り」: 神様。御子の復活によって、あなたは死と墓を打ち破り、永遠のいのちを確かなものとしてくださいました。世にあって日々を生きる私たちが、天における永遠のいのちを信じて歩むことができるよう、お導きください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、復活の主イエス・キリストの御名によって祈ります。 ♪ アーメン
○主の復活主日(イースター) 説教
イザヤ65:17-25 使徒10:34-43 ルカ24:1-12
「その朝の出来事」
夜明けとともに、安息日が明けたと見るや女性たちは墓へ急ぎます。しかしそこには《見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見あたらなかった。》(24:2)とあるように、想定外のことが起きていました。ただ途方に暮れるしかありません。すると彼女たちの側に輝く衣を着た二人の人が現れ《なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここらにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっていると言われたではないか。》(24:5-7)と告げたのでした。女性たちは驚きつつも、かねてより主が語られていた言葉を思い出します。そして、墓から帰って、11人と他の人皆に一部始終を知らせました。
遺体を丁寧に葬りたいと精一杯の思いで墓を訪ねた女性たちは、自分たちの思いを遂げることはできませんでした。しかしながら、彼女たちは驚くべき喜ばしい知らせを聞いたのです。そして、その知らせによって主の言葉を思い起こし、信じました。復活の主イエスのお姿をまだ見ていなかったにもかかわらず、彼女たちは主の約束を思い起こして信じたのです。ここに御言葉の力があります。しかし、この知らせを聞いた弟子たちは“たわ言”のように思いまだ信じることができません。おそらく彼らは自分にこだわっていたのでしょう。だからこそ、ペトロは事の真偽を確かめるために墓に走るのです。そして、自分の目でも空虚な墓、残された亜麻布を確かめ驚きながら家に帰りました。
不思議なことに世界で初めてのイースターの朝の物語に主イエスご自身が登場しません。そこには、嘆きと悲しみにくれた女性たちの姿、半信半疑な弟子たちの姿があり、誰一人として主イエスの言葉を理解していなかった事実だけが浮き彫りにされています。そして、彼らが目にしたものは、空虚なお墓です。主の復活を知らされた女性たち、また彼女たちを通して喜ばしい知らせを聞いたのに信じることができない弟子たちの状況は、今の私たちに似ています。復活の主イエスのお姿を見ていないという点で同じであり、ただ主の御言葉を信じることで主の復活を確信しているという点でも一致します。
今日の福音の中心にあるのは、空っぽの墓なのです。私たちはこの空虚な墓に目を注ぐようにと促されます。墓の入り口を塞いでいた石の蓋が転がされていたのは、主イエスが墓から出るためではなく、女性たちが、ペトロが、弟子たちが、復活の朝、空虚な墓を見るためだったのです。そして「あの方は、ここにはおられない。」というメッセージを受け取ることによって、かつて主イエス・キリストご自身が語っておられた言葉を思い出すためです。これは、当時の弟子たちだけに留まらず、私たちにも同じように迫ってきます。私たちは教会の暦に従いながら、主の教えを聴き、主の業を見ます。そして主の御言葉を通して福音を与えられます。主の教え、主の行い、そして主の十字架と復活が私たちにどのような意味をもたらすのかを、聴いてゆくのです。そして、復活の主イエスが私たち一人ひとりと出会ってくださることによって、私たちは“主イエスは死を打ち砕き、復活し、永遠の命の約束へと私たちを導いてくださっている!”という喜びを、私のための贈り物として受け取るのです。(岡田)


《来週の礼拝》
#4月27日 午前10時30分 復活後第2主日 礼拝
*司 式:小泉 基牧師
*説 教:小泉 基牧師「不公平はいつもある」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小笠原里子さん
*礼拝当番:清水美年子さん、小笠原里子さん
*聖 書:使徒言行録 5:27-32(新222)、 黙示録 1:4-8(新452)、ヨハネ 20:19-31(新210)
* 讃 美 歌:97番、108番、教団496番

