2月22日「今日の礼拝堂」
四旬節第1主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」 御約束を信じる信仰を強め、聖霊によってあなたの命を高く世に掲げることができるようにしてください。 あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○四旬節第1主日 説教
創世記2:15-17,3:1-7 ローマ5:12-19 マタイ4:1-11
『悪魔も天使も』
私たちの日常を振り返ると、やるべきことが分かっていながら、つい楽な道を選んでしまうことがあります。そのとき私たちは「誘惑に負けた」と感じるでしょう。また、自分の力ではどうにもならない状況に置かれると、「天使がいるなら、助けてほしい」と思うのではないでしょうか。水曜日から、今年の四旬節が始まりました。四旬節は、特別に立派な信仰者になるための季節ではありません。むしろこの時は、私たちが何により頼み、何を信じて生きているのかを、静かに見つめ直すために与えられた時なのだと思います。
四旬節の始まりに、主イエスが荒れ野で誘惑を受けられた出来事が語られることには、深い意味があります。聖書は、悪魔や天使について多くを語るわけではありませんが、はっきりと示していることがあります。それは、悪魔も天使も、神の御手の外にある存在ではない、ということです。今日の福音書には、荒れ野で主イエスを誘惑する悪魔と誘惑の後に主に仕える天使、その両方が登場します。
主は洗礼を受け、「これはわたしの愛する子」という神の声を聞かれた、その直後に荒れ野に向かわれました。そこで悪魔は三つの誘惑を差し出します。パンの誘惑、神を試す誘惑、そして権力と栄光の誘惑です。形は違っても、「神に信頼しなくても、自分の力で生きられるのではないか」「もっと簡単な道があるのではないか」という同じ方向を向いています。主イエスは神の子としての力を用いず、ただ神の言葉への信頼によって、これらを退けられました。
朝ドラでも描かれていたように、アンパンマンというヒーローは、敵を倒すことで世界を救うのではなく、自分の顔を分け与えることで人を生かします。弱々しく、みすぼらしく見えるその姿にこそ、本当の強さとは何かという問いが込められています。私は荒れ野の主イエスの姿とどこか重なるものを感じます。
福音書には、誘惑が終わったあと、《天使たちが来てイエスに仕えた》(4:11)と記しています。主は、悪魔の誘惑に屈することなく、また天使の助けに先回りして頼ることもなく、ただ父なる神への信頼に生き抜かれました。これは、私たちが誘惑の中で揺らぐとき、神を信じきれなくなるとき、それでもなお神に向かって「神よ」と呼びかけることができるようにするためです。
うまく祈れなくてもかまいません。信仰の確信が持てなくてもかまいません。悪魔の声のほうが大きく聞こえる時があっても、神を信頼しきってくださったお方が、すでに私たちの側に立っていてくださいます。荒れ野を歩まれ、十字架に至るまで父を信頼された主イエス・キリストは、必要な時に、必要な支えを備えてくださるお方です。私たちが気づかないところで、私たちを生かし、支えてくださいます。今、四旬節を歩む私たち一人ひとりと、主は共にいてくださいます。私たちはこの方から呼ばれ、招かれ、恵みの中で生かされています。悪魔の声に支配されるのではなく、神への信頼に生きる歩みへと、私たちは招かれているのです。(岡田)



《 来週の礼拝 》
#3月1日 午前10時30分 四旬節第2主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 裁くためでなく 」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:藏谷俊夫さん
*礼拝当番:小川敦子さん
*聖 書:創世記 12:1-4a (旧15)、 ローマ 4:1-5,13-17 (新139)、ヨハネ 3:1-17 (新167)
* 讃 美 歌:66番、250番、増補版17番

