2月8日「今日の礼拝堂」
顕現節第5主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」 神様。あなたは私たちを祝福し、みわざのために用いてくださいます。この地でみわざが行われるために、この世であなたの栄光が現れるために、聖霊によって私たちを支え、励まし、お遣わし下さい。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○顕現節第5主日 説教
イザヤ58:1-9a コリントのⅠ2:1-12 マタイ5:13-20
「それぞれの賜物」
本日の福音において主イエスは《あなたがたは、地の塩である》と宣言されています。この言葉を聞いたとき、私たちは素直に安心できるでしょうか。それとも、「自分は本当にそう言えるだろうか」と心がざわつくでしょうか。
自分の弱さや失敗を思い返すと、「地の塩」とはとても思えない。むしろ「塩気を失った塩」という言葉が、胸に引っかかることもあるかもしれません。しかし主イエスは、人を不安に陥れるためにこの言葉を語られたのではありません。希望を与えるために語られたのです。
主の前に集まっていたのは、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側からやって来た人々など、多種多様な人々でした。決して整った人々ではありません。出身も背景も異なり、痛みや欠け、不安を抱えたまま。それでも主イエスの言葉を求めて集まってきた人々でした。その群衆に向かって、主は宣言されたのです。《あなたがたは、地の塩である》と。主は、人々の違いをならしてからそう言われたのではありません。違いを残したまま、いや、違いがあるからこそ、「地の塩」と呼ばれたのです。
そのことは、今日の私たちにも当てはまります。私たちは皆、同じ賜物を与えられているわけではありません。語る者もいれば、黙って支える者もいます。声を上げる者もいれば、耐え、守ろうとする者もいます。問題は、それらの賜物が、いつも同じ方向を向くとは限らない、ということです。それぞれが間違っているわけではないのに、衝突や戸惑いが生まれます。おそらくそれは、それぞれが“自分に与えられた賜物に忠実であろう”としているからなのでしょう。そして私たちは、いつの間にか、互いの違いを「足りないもの」「厄介なもの」と呼び替えてしまう誘惑にさらされます。
しかし主は、違いを切り分ける道ではなく、違いを抱えたまま共にいる道へと、私たちを招いておられます。なぜなら、主イエス・キリストご自身が、そのようにして私たちのただ中を歩まれたからです。整っていない弟子たちを切り捨てることなく、裏切る者さえ含めて共に歩まれました。
「塩気を失う」とは、失敗することでも、弱くなることでもありません。キリストから離れ、自分一人で立とうとすることです。礼拝を終え、私たちはそれぞれの場へと遣わされていきます。完全ではない私たちを、主はなお、「地の塩」「世の光」として用いようとされます。この主の宣言に信頼して、それぞれに与えられた賜物を携え、共に歩む群れでありたいと願います。(岡田)


《 来週の礼拝 》
#2月15日 午前10時30分 主の変容の主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 恐れずに進め 」
*奏 楽:井上志乃さん
*聖書朗読:藏谷俊夫さん
*礼拝当番:小川敦子さん
*聖 書:出エジプト 24:12-18 (旧134), ペテロの手紙二 1:16-21 (新437),マタイ 17:1-9 (新32)
* 讃 美 歌:374番、148番、聖公会282番

