4月12日「今日の礼拝堂」
復活節第2主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」 神様。あなたの愛を見失い、光に背を向けてしまう私たちを、あなたはご存じです。試練の中にあっても、み手を差し伸べてくださる主を信じて、喜び生きる私たちにしてください。 あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○復活節第2主日 説教
使徒言行録2:14a,22-32Ⅰペトロ1:3-9ヨハネ20:19-31
「 涙の先に 」
復活の朝、墓の外で泣いていたマグダラのマリアは、主イエスから名を呼ばれ、復活の主と出会いました。復活の出来事は、最初から喜びや確信に満ちて始まったのではなく、深い悲しみと涙の中で静かに始まりました。今日の福音は、その同じ日の夕方の出来事を伝えています。弟子たちは、ユダヤ人たちを恐れ、家の戸に固く鍵をかけて集まっていました。復活の知らせを耳にしても、不安や恐れがすぐに消え去ったわけではなかったのでしょう。それでも彼らは散り散りにならず、同じ場所に集まっていました。その閉ざされた場の真ん中に、復活の主イエスご自身が立たれたのです。
主は弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」と声をかけられます。それは特別な言葉ではなく、日常のあいさつでした。恐れの中にいた弟子たちに、十字架以前と変わらない親しみをもって語りかけられたのです。主が示された手とわき腹の傷跡は、十字架の苦しみと死が確かな現実であったこと、そしてその主が今、確かに生きておられることを示していました。復活は、苦しみや死をなかったことにする出来事ではありません。それらを抱えたまま、なお前へと進んでいく神の働きです。復活の主はマリアを仲間たちのもとへ遣わし、さらにご自身が弟子たちの前に現れてくださることにより、復活とは、誰か一人の思いや一つの場所に留めておけない出来事であることを示されました。
ところが、その場に居合わせなかったトマスは、仲間たちの証言だけでは信じられないと正直に語りました。そのトマスのためにも、主は八日後、再び弟子たちの前に現れ、ご自身の傷に触れるよう招かれます。見えなくても触れなくても、主は共にいてくださる・・・この約束は、あの時の弟子たちだけでなく、今を生きる私たちにも向けられています。
主イエスの「あなたがたに平和があるように」は、ただ気持ちを落ち着かせる励ましではなく、「わたしがあなたがたを遣わす」という派遣の言葉でもありました。主は弟子たちに息を吹きかけ、聖霊を与え赦しの務めを託されます。平和とは、まず主から与えられ、赦しの務めへと私たちを招き続ける、主の臨在の賜物なのです。
復活の主は、恐れや不安を抱えたままの弟子たちの真ん中に立ち、彼らを世へと遣わされました。それと同じように、主は今日、涙や迷いを抱える私たちのただ中にも立っておられます。トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と告白したように、傷を負われたまま生きておられる主をそれぞれの場所で「主」と呼び、信頼して歩みましょう。トマスの疑いにも寄り添われた主は、今、私たち一人ひとりにも寄り添っておられます。(岡田)


《 来週の礼拝 》
#4月19日 午前10時30分 復活節第3主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 平和があるように 」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:小笠原里子さん
*礼拝当番:小川敦子さん
*聖 書:使徒 2:14a&36-41 (新215)、 ペテロ手紙一 1:17-23 (新429)、 ルカ 24:13-35(新160)
* 讃 美 歌:97番、256番、教団11篇195番
