4月5日「今日の礼拝堂」
主の復活の日・イースター 礼拝
今週の「つどいの祈り」 神様。恵のみわざの今日を、私たちは喜び祝います。あなたから与えられた復活の約束を信じ、主の民として生きる私たちを、支え、守り、導いてください。 あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○主の復活の主日・イースター 説教
使徒10:34-43コロサイ3:1-4ヨハネ20:1-18
『復活の朝』
週の明け方早く、マグダラのマリアは墓へと急ぎました。十字架の上で壮絶な死を遂げられた主イエスは、その日のうちに墓に納められていたからです。墓を訪れたマリアは、蓋とされていた石が取り除けられているのを見て、弟子たちのもとへ走り出し「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません」と告げました。復活の朝は、最初から喜びや確信に満ちた朝として始まったのではありませんでした。 知らせを聞いたペトロと、イエスが愛しておられた弟子は墓に向かって走り、墓が空であること、亜麻布が置いてあることを確かめます。しかし、福音書記者ヨハネが「二人はまだ理解していなかった」と記しているように、空の墓はまだ彼らを信仰へと導く決定的な出来事にはなっていません。主の復活は、まだ確信として受け取られてはいないのです。
一方、マグダラのマリアは墓の外に立って泣いていました。主イエスとの出会いによって生きる力を与えられ、命を見いだしてきた彼女にとって、主を失った現実は、自分自身をも失ったかのような出来事だったのでしょう。涙の中で彼女は、これからどのように生きていけばよいのか、思い巡らせていたのではないでしょうか。
そのマリアに、復活された主イエスが名を呼びかけられます。「婦人よ」と呼ばれた時には分からなかった声の主が、「マリア」と自分の名を呼ばれた時にはっきりと分かったのです。良い羊飼いは自分の羊の名を呼ぶ、と語られていた主の言葉が、ここで現実となりました。マリアは、主の呼び声によって再び命を与えられたのでした。
思わず主イエスにすがりついたマリアに、主は「わたしにすがりつくのはよしなさい」といわれました。これは触れることを禁じる言葉ではなく、ここに留まり続けることをやめなさい、という招きでしょう。復活の主は、再び弟子たちのもとへ遣わされ、救いの出来事を前へと進めていかれます。復活は、誰か一人の思いや場所に留めておくことのできない出来事だからです。私たちの生きているこの社会は、自分の小さな力では、どうにもならないことばかりのように感じられることがあります。しかし、復活は、今も、私たちのただ中で起こり続けている出来事です。マリアが立っていた場所は、遠い昔の出来事ではなく、今を生きる私たちの立っている場所でもあります。 暴力や排他的な風潮が強まる世界の中で、それでも主イエスは、私たち一人ひとりの名を呼び、「共にいる」と約束してくださいます。物理的に一緒にいなくても、たとえ見失ったように思えても、主は確かに、私たちと共に歩んでおられます。2026年の復活祭を迎えた私たちは、この主の約束に信頼し、それぞれの歩みの中で、これからも共に歩んでまいりましょう。(岡田)



《 来週の礼拝 》
#4月12日 午前10時30分 復活節第2主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 涙の先に 」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:楢戸恵子さん
*礼拝当番:秋田直枝さん
*聖 書:使徒 2:14a&22-32 (新215),ペテロ手紙一 1:3-9 (新428),ヨハネ 20:19-31(新210)
* 讃 美 歌:90番、95番、教団11篇195番
