3月29日「今日の礼拝堂」
主のエルサレム入城/枝の主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」 神様。子ろばに乗っておいでになった御子、主イエス・キリストをほめたたえます。はかり知ることのできない、あなたの愛とみわざを思い巡らしつつ、受難週を歩むことができるように私たちを助けてください。御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○主のエルサレム入城/枝の主日 説教
イザヤ50:4‐9a フィリピ2:5-11 マタイ21:1-11
「 主の沈黙 」
私たちはしばしば、物事が自分の思いどおりに進まないとき、不安や戸惑いを覚えます。春の訪れを感じながらも、心身の調子を整える難しさを覚えるこの時期、その思いはいっそう身近なものかもしれません。そのような私たちに、聖週間へと向かうこの時、福音は静かに語りかけています。
枝の主日に読まれる福音は、主イエスがエルサレムへ入城される場面です。主は、かつてラザロの復活が起こった村の近くで一頭の子ろばを所望され都にむかわれました。子ろばは、律法において神へのささげ物とはならない存在であり、劣ったものと見なされていた動物です。その背に乗ってエルサレムへ入られる主の姿は、力によって支配する王とはまったく異なるものでした。
群衆は主をダビデの子、力ある王として迎え、「ホサナ」と叫びながら、服や枝を道に敷きました。彼らが願っていたのは、抑圧や不安、貧しさや恐れから解放してくれる、この世を力強く変えてくれる王の姿だったのでしょう。軍馬ではなく、子ろばに乗って進まれるお姿は、やや滑稽にも見えます。人々の歓呼に包まれながらもエルサレムへと入られた主イエスは、神殿を見回された後、再びベタニアへと退かれました。この間、主はひとことも発せられません。ただ沈黙を守られました。それは、ご自身がこれから十字架へと向かわれることを、すでに深く知っておられたからです。
聖書を読む私たちは、この後、同じ群衆が「十字架につけろ」と叫ぶ側へと変わっていくことを知っています。その姿は、人間の心の移ろいやすさを映し出すと同時に、私たち自身の姿でもあります。主を自分の期待どおりの存在にしようとするとき、私たちは簡単に主から離れてしまいます。しかし主の沈黙は、そのような私たちを見捨てる沈黙ではありません。私たちの罪を引き受け、十字架へと向かわれる沈黙です。今日、世界の各地で争いが続き、力や恐れによって平和を実現しようとする誘惑は、今も私たちの身近にあります。それでも主イエスは、力によってこの世を治める王としてではなく、沈黙のうちに十字架を引き受ける僕として、エルサレムへと進まれました。
私たちはそれぞれに課せられている十字架を担いながら歩んでいます。しかし同時に、すでに祈られている者として歩む幸いも与えられています。沈黙のうちに先立って行かれる主イエスの後ろを歩むとき、復活へと至る道がすでに備えられていることを信じて、この聖週間を歩んでいきたいと思います。共に主の恵みに支えられて歩んでまいりましょう。 (岡田)


《 来週の礼拝 》
#4月5日 午前10時30分 主の復活の主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 復活の朝 」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:清水美年子さん
*礼拝当番:藏谷俊夫さん
*聖 書:エレミヤ 31:1-6 (旧1234)、 使徒言行録 10:34-43 (新233)、ヨハネ 20:1-18(新209)
* 讃 美 歌:89番、253番、教団11篇195番
