1月4日「今日の礼拝堂」
主の顕現の主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」御民の光、永遠の 神様、あなたは世界の隅々に至るまで輝き出で、世をあなたの栄光で満たしてくださいました。まことの夜明けの星、御子によって全世界にあなた自身を顕してください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○主の顕現の主日 説教
イザヤ60:1-6 エフェソ3:1-12 マタイ2:1-12
「その星の下で」
マタイによる福音書においてイザヤの預言は、シオニズムを超えて、まったく非政治的な仕方で、イエス・キリストにおいて実現したと伝えています。宝物を携えてメシアを祝福しに来たのは、当時の中東世界で第一級の知識階級であった、占星術の学者たちです。占星術といっても、現代の、オカルト的な占い師とは違います。基本的に彼らは天文学者。古代のことですから占い師の側面も否定はできませんが、いずれにせよ、真理の探究を代表する者たちです。“世界中の道を求める者、救いを求める者たちに、今、一つの答えが与えられた。神の答えが顕現したのだ!”とマタイは伝えているのです。
《彼らが、王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。》(マタイ2:10-11)
不安な世界のただ中で、政治的な矛盾のただ中で、人知れず行われた世界で初めてのクリスマス=キリスト礼拝。飼い葉桶には、人の手を借りなければ何もすることができない幼子イエスがいます。この小さな神の御子との出会い。本当にそれは小さなささやかな出来事だったかもしれませんが、人類にとっては実に大きな出来事だったのです。その対極では、このささやかな出来事に怯えたヘロデ大王が残酷なことを行いました。先週の日課にあったように、ベツレヘム一帯の2歳以下の男の子の無差別虐殺を命じたのです。恐れに捕らわれ、殺すことで安寧を得ようとする矛盾は、現代のパレスチナ情勢にも通じるものがあります。本当に愚かなことです。
政治は一つ狂えば、人間の罪を白日の下に露出させます。絶望と悲惨を、大量生産します。政治には常に警戒が必要です。簡単に、賞賛したり、扇動やかけ声に乗せられたり、期待しすぎたりしてはいけないのです。救いの出来事は、政治の大きさや華やかさに比べれば、小さく素朴なものです。クリスマスの出来事の特徴は、その小ささと素朴さです。それは今でも同じです。一人ひとりの中に、救いの出来事が起こる。誰がそれに気づくのか?学者たちが一つの星に導かれたように、私たち一人ひとり、道を求める者、真理を求める者には必ず、導きの星が与えられます。
2026年、私たちの目の前に開かれている道がどのような道なのか。それは、一歩を踏み出してみなければわかりません。憲法改定に向けて、熱く国家が論じられ、愛国心が論じられ、民族の誇りが論じられることになるでしょう。空虚な心が愛国心という心地よい居場所を見いだして、それに酔いはじめると、人心は一気におかしくなります。その危険が広がりそうです。キリストの愛を知り、キリストの光を受けている私たちがどのような選択をしていくのか、どのように生きていくのかも問われることでしょう。
救いの出来事は地味で素朴で小さなものです。一人ひとりの心に起こる小さな出来事。けれども、その道を通り、私たちは永遠なるお方との出会いを与えられているのです。ベツレヘムから別の道を通って自分たちの国に戻って行った学者たちのように、私たちも不安や恐れに惑わされるのではなく、暗闇を照らす光なるお方、その方に導くその星の下で、主に従う者として生きるように望まれているのではないでしょうか。



#1月11日 午前10時30分 主の洗礼日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「ふさわしいこと 」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:清水美年子さん
*礼拝当番:小川敦子さん
*聖 書:イザヤ 42:1-9 (旧1128)、 使徒言行録 10:34-43 (新233)、マタイ 3:13:17 (新4)
* 讃 美 歌:149番、303番、新生73番

