12月14日「今日の礼拝堂」
待降節第3主日 礼拝
*待降節が3週目となり、クランツの3本目のキャンドル「喜び」が点されました。
今週の「つどいの祈り」 神様。あなたのなされることは、すべて正しく、時にかなっています。私たちの信仰が弱くなる時、憐れみの御手をもって支え、聖霊によって私たちを導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○待降節第3主日 説教
イザヤ35:1‐10 ヤコブ5:7-10 マタイ11:2-11
「 来るべき方 」
《来るべき方は、あなたでしょうか》(11:3)とのヨハネの問いをもたらした彼の弟子に対して主は《行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい》(11:4)と答えられます。ヨハネの弟子たちは、キャッチボールの球のように、今度は主イエスからヨハネの許へ自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことを伝える使者として遣わされます。主が求めておられることは、ご自分と出会った者たちが何を見て、何を聞いたか、そしてどのように感じたかを自らに問い、その人がご自身のことをどのように受け止め、告白するか、ということです。言い換えれば“あなたはわたしのことを何者だというのか”と問われているのです。「あなたはわたしをメシアとして信じるか/信じないか」という問いかけは、主のもとに遣わされてきたヨハネの弟子たちだけでなく、弟子を遣わした洗礼者ヨハネにも、そして現代に生きる私たち一人ひとりにも問われていることのように感じます。福音とは主イエス・キリストによって私たちにもたらされた神の憐れみ、愛、恵み、よきおとずれです。そしてその福音=よきおとずれは、単なる観念的、抽象的なことではありません。神の子が具体的に肉体を持った人として世に降られた、ということを信じる者たちにとっては事実として迫ってくるものであり、神が具体的に私たちに働きかけ、迫ってきているものです。だからこそ、主はヨハネの弟子たちに、また彼らを通してヨハネ自身に、そして現代に生きる私たちに、ご自身の言葉と業を通して、“あなたはわたしのことを何者だというのか”と問われるのです。そして、問われた者たちが、それぞれに自分事として主イエスとの関係を真剣に問うように促されているのです。自分が見て、聞いて、感じたことを、自分の言葉で伝え、わかちあい、証すること・・・。世界に満ちる暴力や戦争、政情不安などで心細くなっている今の世にとても大切なことだと思います。私たちは人生のどこかで、主イエス・キリストと出会う恵みを与えられました。そして、キリストを通して神の愛と憐れみを知る者とされています。今、地上には様々な暴力や不条理、不正義が満ちていて、直接的な戦闘に巻き込まれることがない日本においてですら、今日を生き抜くことが難しい状況にある人々も少なくありません。長引く不況による経済的な圧迫に加えて、差別と分断を煽るような人々の存在、終わりの見えない戦闘(殺し合い)が続く地域、武器売買が最も効率的に稼げると恥ずかしげもなく言う大臣がいたりして、生きていることがしんどく感じることもあります。また、クリスマスから年末年始にかけて行われる華やかなイベントや行事の陰で自らの命を絶とうとする人々も増加すると言われています。先進国と呼ばれる国の中で、自死が若者たちの死因の第一位であり続けていることが、この国の異常さを示していると思います。 私たちはそれぞれの歩みの中で、主イエスによってもたらされた様々な恵み、愛、憐れみを知らされています。私たちは神のすべてを知り尽くしているわけではありませんが、福音の一端に触れ、それを知る者とされています。神と共に生きる喜び、福音を知る喜びに生かされている者たちは、福音を自らの内に留めておくのではなく周囲とわかちあってこそ、多くの実りをもたらすということを知っています。主イエスが洗礼者ヨハネの弟子たちに言われたように、今日、私たちも「あなたも自分の目で見て、耳で聞き、知らされたことを、自分の言葉でわかちあう者となりなさい」との呼びかけを受け、主によって立てられ、世に向けて派遣されてゆくのです。来るべきお方は、私たちと共におられます。この方を信じて、歩みをすすめましょう。(岡田)


《 来週の礼拝 》
#12月21日 午前10時30分 降誕主日(クリスマス)礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「すべてを照らす光 」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小笠原里子さん
*礼拝当番:小川敦子さん
*聖 書:イザヤ 52:7-10 (旧1148)、 ヘブライ 1:1-4(1:1-12) (新401)、ヨハネ 1:1-14 (新163)
* 讃 美 歌:30番、25番、増補版49番

