9月28日「今日の礼拝堂」
聖霊降臨後第16主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」:神様。あなたは正しく、憐みに富んでおられます。みことばを聴き、みこころを尋ね求める私たちにしてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○聖霊降臨後第16主日 説教
アモス6:1,4-7 テモテ一6:6-19 ルカ16:19-3
「 憐れみ 」
今日の物語は、金持ちとラザロという人物が登場する物語です。「ラザロ」という名前はヘブライ語のエレアザルに由来し、「神は助けてくださった」という意味です。たとえ話の中で名前のついた人物が用いられるのは、珍しくこの物語に特有のものです。おそらくこれは、より深い個人的なつながりを示唆し、物語の現実性を強調しているのです。つまりラザロは、このたとえ話を聞いている人達の周囲にいる疎外され、困窮している人々を象徴しているのです。
聖書の時代、皮膚病は儀式上の不浄や共同体生活からの排除につながることが多くありました。また、その腫れ物を犬がなめている姿は、彼の貧困と社会から疎外されている様を一層鮮明にしています。卑しく汚れていると考えられていた犬たちが、金持ちよりもラザロに対して多くの気遣いを示している様を、神学的に見るとルカによる福音書全体に見られる逆転のテーマ、つまり最後の者が最初になり、最初の者が最後になる(ルカ13:30)ということを強調し、神が思いがけない手段を使って慰めを与える方法について私たちに考えるよう促します。
場面が死後の世界へと変わると、金持ちとラザロの位置が逆転します。死んでしまった金持ちが目を上げると、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれたラザロが目に入ります。炎の中でもだえ苦しんでいる金持ちは、とにかく僅かな水でも得たいと願い、アブラハムに向ってラザロを自分のもとへと遣わしてくれるようにと頼みます。しかし、答えは厳しいものでした。なぜ物語の金持ちは、ここまでアブラハムから拒絶されたのでしょうか。問題は、彼がお金持ちだったから、という理由ではありません。生前、彼の家の門前には、できものだらけの貧しいラザロが横たわっていました。死後の世界でのやり取りを見ると、金持ちはラザロという人がどのような人物で、彼が助けを必要としていることを知っていました。しかし、犬ですらもラザロに関心を示しているにも関らず、金持ちは生きている時にはラザロには目もくれず、助けることも声をかけることもせず無視していたのです。そして浪費については自分の差配で何とでもなる、自分のしたいようにすることに対してなんの躊躇もありませんでした。
もしこの金持ちが自分に富を与えてくださったのが神であるということに少しでも思いが向いていたならば、恵みに対する感謝の思いがわずかでもあったならば、自分が手にしていた多くの富を誰かとわかちあうことができたかもしれません。しかし、彼は自分のために備えることはしても、神への感謝や隣人に対する憐れみを持つことがなかったので、ラザロのこともほったらかしでした。 主イエスはこの話を聞く者たちが、神の言葉に真剣に耳を傾け聞いているだろうか?と問われているのです。このように問われて、当時の人々も私たちも恐れおののきつつ、うなだれるしかないかもしれません。しかし、だからこそ、主イエスはこの世に降られて来たのです。私たち人間が決して越えることができない深い淵を越えて、神の愛の懐へと私たちを救い出してくださるために。神は主イエス・キリストを通して私たちに赦しと慰めと愛を示してくださいました。罪赦された罪人として、キリストに愛された者として生きる/生かされる喜びを私たちは知らされています。この大いなる恵みを自分のもとで停滞させていてはいけません。神の業は人を頼みとして広がりを持ちます。誰かを通して私に伝えられたこの喜ばしい福音を、私たちはこの世に対して、喜んで差し出し、伝え、共に喜ぶ者として生きるようにと押し出されていくのです。(岡田)


《 来週の礼拝 》
#10月5日 午前10時30分 聖霊降臨後第17主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「信じて委ねる 」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:藏谷俊夫さん
*礼拝当番:秋田直枝さん
*聖 書:ハバクク 1:1-4,2:1-4 (旧1464), テモテ手紙二 1:1-14 (新391),ルカ 17:5-10 (新142)
* 讃 美 歌:365番、410番、増補版 16ー1番

