6月22日「今日の礼拝堂」

聖霊降臨後第2主日  礼拝  

今週の「つどいの祈り」:  神様。悩みや不安が私たちに襲い掛かります。上よりの平安をいただくために、すべてを治め、導かれるあなたを信じることができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。     ♪ アーメン



○聖霊降臨後第2主日 説教

               イザヤ65:1-9 ガラテヤ3:23-29 ルカ8:25−39

          「恐れと不安を越えて」

主イエスの前に悪霊に取り憑かれている男が現れます。この人は《衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた》(27)とあり、わめきながらひれ伏し、《いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい》(28)と大声で言うのでした。主が汚れた霊にこの男から出るようにとお命じになったからです。悪霊に《名は何というのか》(30)とお尋ねになると、悪霊は「レギオン」と答えます。「レギオン」というのはローマ軍団のことです。ラテン語のLegionarius/レギオーナーリウスは、ローマ軍団を構成する兵士のことです。ローマ市民は共和政ローマ中期まで軍団兵としての義務があり、25年間、45歳までの兵役が課せられていました。ですから、この男の苦しみの原因である悪霊とは、ローマ軍の存在そのものであることが示されていると言ってよいでしょう。

支配と抑圧の中で、暴力がおこなわれ、深く心と魂が傷つけられてしまった一人の男。彼が、深い悲しみの中で叫び続け、墓場に住み、生きるということの意味も見いだせないままにあった叫び、呻きに耳を傾け、彼に触れるために主イエスは向こう岸から渡って来られたのです。この男、すべてを奪われ、様々な痛み、苦しみを担わされ、墓に留まり失われたかけがえのない愛する者を思う、その想いにまさって、主はこの人をかけがえのない“ひとり”として見出し、対峙されているのです。

主イエスは、彼の怒りと苦しみのもとであるレギオンを取り除かれます。それは、あのローマ帝国支配を象徴する「豚の群れ」を、海に飛び込ませることでした。この男が捉えられていた怒りと悲しみ、深い絶望に、主イエスが寄り添い、それを受け止めてくださったのです。けれども、物語はこれでめでたしめでたしとはなりません。成り行きを見ていた人たちが、悪霊に取りつかれていた人が救われた次第を知らせると、豚飼いたちは逃げ出し、野次馬的に様子を見に来た者たちは、あの男が正気を取り戻し、服を着て、主イエスの前に座っているのを見て恐ろしくなっているのです。そして、ゲラサの人々は自分たちのところから出て行ってほしいと主に願うのでした。

《彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである》(37)とルカは記しています。ゲラサの人々は、人が癒されることで神をほめたたえることはしませんでした。彼らは経済的な損失を勘定し、あまりにも損失が多いことに目を見張り、主イエスの業が良いものであったとしても、見通しがつかず、管理もできない力を脅威としか受け止められないのでした。だから、出て行ってくれというのです。主が帰ろうとされると、癒された人がお供したいとしきりに願いますが、主はこれを良しとはされません。《自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい》(39)といって戻されます。癒された人は、この主の言葉に従って、自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた、というところで日課は終わります。

この人がどこまで主イエスのことを理解していたかはわかりません。けれども、ただ一つはっきりとしていることは、この人は主が自分にしてくださったことを自分のことばでしっかりと語ったということです。町へ戻った時、この人にも恐れと不安があったかもしれません。しかし、それらを越えてこの人は神の業の証人として生きる者となりました。かけがえのない一人として、主に見いだされ、主によって癒され、神の御心に触れたものは、福音宣教者としてたてられていくのです。(岡田)

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