3月23日「今日の礼拝堂」
四旬節第3主日 礼拝
今週の「つどいの祈り」: 神様。御子の十字架の苦しみは、人知では到底はかり知ることができない御心と愛を表しています。畏れつつ、あなたを信じ、隣人を愛することができるよう、私たちを助け導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○四旬節第3主日 説教
イザヤ55:1-9 コリント一10:1-13 ルカ13:1-9
「 明日を信じて 」
ガリラヤの人たちが被った被害について知らせをもたらした人がどういう立場にあったのかはよくわかりませんが、知らせをお聞きになった主イエスの返答は《あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる》(13:3)というものでした。ちょっと冷たく見える応答ですが、これは人々の恐怖心をあおり、むやみやたらと苦しめようとしておられるのではないと思います。主の思いを読み解くには、続くいちじくの木のたとえとあわせて聞いていく必要があるでしょう。
たとえ話のいちじくの木は3年経っても実をつけないことから危うく切り倒されそうになります。しかし、園丁のとりなしによって切り倒されることなく、よりいっそうの世話を受け翌年へと希望をつなぐことが出来ました。これは、主イエスご自身が私たちの罪を贖ういけにえとして十字架についてくださること、十字架と復活によって私たちが自らの罪に気付かされ、神へと向きなおることが出来るようになることを示しています。そして、神の審判が近づいてきていることは確かであっても、まだその時が訪れていないのは、主イエスの出来事を通して、より多くの人々が自らの罪に気付かされて、心から悔い改め、神へと向き直ることが待たれていることを示します。
この話は神が人間の罪に対しては厳しく対処され裁かれると同時に人間が罪に気付いて悔い改めへと導かれることを切に願い待っておられることを教えています。そして、主がこの世界においでになった理由こそが、罪人たちのメタノイア=悔い改め=方向転換のためであることをはっきりと示されるのです。悔い改めとは、見当違いの方向を見るのではなく、あなたのいのちをうみだし、育み、良い物として保ってくださっている神へとしっかりと向きなりなさいと言うことです。 ガリラヤの人たちの災難を知らせた人たちはどこかで自分とその人たちは違うのだと切り分けて考えていたことでしょう。しかし主は、あなたも滅びる存在であることには変わりないとはっきりと告げられます。そのうえで、あなたが滅びることを私は望まない。伴うために来たのだよ、悔い改めに招いてくださるのです。
世に満ちる様々な課題の一つひとつを数え上げ、祈る事が出来ればいいのですが、限られた時間を生きる私たちはすべてを網羅することは到底出来ません。だからこそ、私はせめて毎週祈りに導かれるミャンマーのことやこの国に住みながら居ない者のような扱いを受けている小さくされた人たちのことを覚え、可能な限り伴わせていただきたいと願っています。共に今日という日を生かされたことを喜び会い、明日に希望をつなぎながら、生かされる限り主イエスを通して私たちに注がれている神の愛をしっかりと味わいたい。主の愛に触れることにより、私たちは神のもとへと向き直ることが出来るのです。そして、神の子として生きる道へと導かれます。遅すぎると言うことはありません。この祝福に与った喜びを持って、それぞれの現実の中で主の思いに聞きながら、目の前に開かれた道を進んでゆきましょう。(岡田)

《 来週の礼拝 》
#3月30日 午前10時30分 四旬節第4主日 礼拝 (配信礼拝で行われます)
*司 式:小泉 基 牧師 *説 教:小泉 基 牧師「正しさの哀しみ」 *礼拝当番:小笠原里子さん *聖 書:ヨシュア 5:9-12、コリントへの手紙二 5:16-21、ルカ 15:1-3,11b-32 *讃 美 歌: 165番、73番、増補版32番

