3月2日「今日の礼拝堂」
主の変容日 礼拝
今週の「つどいの祈り」: 神様。十字架の苦しみと死に向かって歩まれる御子、主イエスこそ、まことの光です。主の変容をおぼえて祈る私たちに、この御方に聴き従う信仰をお与えください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○主の変容主日 説教
「 眩しさの中で 」
出エジプト34:29-35 コリント二3:12-4:2 ルカ9:28-43a
主イエスはわずかな弟子たちだけを伴い、祈るために山に登られました。そこで弟子たちが、目にしたのはいつもとは違う主の栄光に満ちた姿でした。山の上というのは古今東西を問わず、神が顕現する場と考えられてきました。つまり、この物語は日常を超えた出来事であり、私たちが注目しなくてはならないことなのです。
同伴が許されたのはペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人。彼らは少し距離がある所から酷い眠気とたたかいながら見つめています。その視線の先に見えたのは《イエス顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた》(9:29)お姿でした。さらにその輝きに包まれた主イエスのほかに、モーセ(律法)とエリヤ(預言)という聖書を代表する人物たちもいるのです。そこで話されている内容とは、主がこれからエルサレムで成し遂げようとしておられる最後についてでした。
ここで使われている「最後」にあたるギリシア語はエクソドスです。これには、「最後」のほかに出発と言う意味もあります。七十人訳のギリシア語聖書では、出エジプト記を指してこの言葉が用いられていますから、皆さんの中にも「エクソドス」と聞くと英語の聖書などの出エジプト記のタイトルとしての印象のほうが強いかもしれません。ここでこの言葉が使われている理由は、これからエルサレムで起ころうとしている受難によって、主が人々をより良い状態へと導かれる、ということを示しています。そして、主が三人の弟子たちをこの山に伴い、ご自分の栄光のお姿を垣間見せられたのは、やがて彼らが直面することになる躓きへの配慮であったと思います。つまり、弟子たちが、仲間の裏切りによって主が捕らえられ十字架へと引き渡されていくことは、彼ら自身にとっても苦難の時です。裏切り、絶望、挫折、無力感、・・・それぞれの思いを胸に彼らが躓いてしまうことを主がご承知であったからこそ、主イエスが本来持っておられる神の栄光に満ちた姿を垣間見せられたのです。それは、たとえ十字架の前に絶望したとしても、主がその先にある希望を見つめておられたことを彼らの心に刻む為だったのではないかと思うからです。
神の臨在を示す雲は、この山頂に仮小屋を建て栄光に輝く三人がいつまでもここに留まれるようにと願うペトロの人間的な理解と願いを拒否するかのように彼らを覆います。そして《これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け》(9:35)という天からの声が響きわたり、雲が晴れた後にはイエスだけがいつもの姿でそこにおられました。これは弟子たちが耳を傾けるべき相手、その言葉に従うお方はモーセやエリヤではなく“主イエスのみである”ことを強調します。そして、白く輝く栄光の姿に象徴されるように、主は真に神の子であり救い主=メシアであること。これから主が成し遂げようとされることは、すべてその栄光を示すものであること。弟子たちは、ただひたすらに主の言葉に耳を傾け、従って歩むことが求められているということが凝縮されているのです。(岡田)
#礼拝後、予定されていた「さっぽろ景観まちづくり講演会」が村口郁美さんを講師として、札幌礼拝堂建物の歴史や特徴などを「聖なる空間の由来と魅力」という題目でスライドを使いながら行われました。




《 来週の礼拝 》
#3月9日 午前10時30分 四旬節第1主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「 誘惑 」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:藏谷俊夫さん
*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん
*聖 書:申命記 26:1-11(旧320)、ローマ 10:8b-13(新288)、ルカ 4:1-13(新107)
* 讃 美 歌:67番、245番、増補版32番

