2月2日「今日の礼拝堂」
顕現節第4主日礼拝
今週の「つどいの祈り」: 全能・永遠の神様。あなたからいただいた信仰と愛の賜物を、私たちのうちに豊かにしてください。そしてあなたからいただいた約束を、戒めとして大切に守れるようにしてください。救い主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
○顕現節第4主日 説教
エレミヤ1:4-10 コリント一3:9 ルカ4:21-30
「 隔ての壁を越えて 」
「隔ての壁を越えて」 《この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたときに、実現した》(4:21)との宣言をもって、主イエスはご自分こそが救い主(=メシア)として神から遣わされた者である、ということをはっきりと示されました。会堂に集まっていた故郷の人々はざわめきます。主イエスその人だけでなく家族の事を知っているだけに“わたしがメシアだ”との宣言をどのように受け止めればよいのか戸惑っているのです。 ある人たちは主をほめ、あるいはその口から出る恵み深い言葉に驚きます。しかし他方では《この人はヨセフの子ではないか》(4:22)と言ってまともに受けとめようとしません。そのような反応に対して主は《はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ》(4:24)とエリヤの物語を引き合いに話し始められるものですから、聞いていた人々が憤慨するのも頷けます。人々は総立ちになって、主イエスを町の外へと追い出しにかかり、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとまでするのでした。強い反発と敵対心は、恵みの時どころか命の危険、災いの時と言わざるを得ないような状況を生み出しているのです。 今、主イエスを崖っぷちにまで追い詰める暴徒のようなナザレの人々もいつもであればこのような暴力性は発揮しなかったでしょう。ただ、彼らにしてみれば自分たちの見知っていた人物が知らない人のように感じられ、戸惑いや手の届かない所に行ってしまったような喪失感、想像を超えた存在であるとの宣言への反発によって混乱し、過剰防衛ともいえるような反応となってしまったのだと思います。集団心理も相まって突き落そうとするところまで行きますが、主はそのような人々の間を通り抜け、ご自分の道を歩みだされました。主はご自身に憤慨している人たちを無視するのではなく、その者たちの間に分け入り、通り抜けられた。これは、裁かれ、滅びるしかないナザレの人々とも主は伴ってくださるため、ご自身が進むべき道が十字架への歩みであることを確信して踏み出されたのだと思います。なぜなら、福音宣教を開始された主が見据えておられるのは十字架の先にある復活という希望だからです。そこに到達するまでには、さまざまな無理解、苦しみや痛みがあります。それらに向かって主イエスはひるむことなく突き進まれるのです。 これは、《この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたときに、実現した》という主の御言葉に耳を傾ける者たちが新しい関係を築くことができるよう、あらゆる隔ての壁を越えて来るための第一歩だと思います。 あのナザレの人たちの崖っぷちでの憎しみ、怒り、対立、暴力は、私たちの罪を現しています。主はその只中に分け入り、そこからご自分の道を踏み出されていきました。 今、私たちが生かされている世界は先行きが見え辛く、様々な痛みと苦しみもあります。しかし、そのような直中で私たちは、主イエス・キリストと出会う恵みを与えられ、今こうして共に生かされています。誰かに対する思い込みや決めつけ、自分こそ正義だと思いたくなる誘惑を退け、忍耐強く私たちを愛し、導き、支えてくださる主イエスに従って参りましょう。
《 来週の礼拝 》
#2月9日 午前10時30分 顕現節第5主日 礼拝
*司 式:岡田 薫牧師
*説 教:岡田 薫牧師「しかし、お言葉ですから」
*奏 楽:若井裕子さん
*聖書朗読:清水美年子さん
*礼拝当番:小笠原里子さん
*聖 書:イザヤ 6:1-13、コリント手紙一 15:1-11、ルカ 5:1-11
* 讃 美 歌:290番、328番、讃美歌575番
☆☆☆ さっぽろ景観まちずくり講演会のご案内 ☆☆☆
3月2日(日)に新札幌礼拝堂でも行われます。詳しくは下記の案内をご覧ください。


