12月8日「今日の礼拝堂」

待降節第2主日 礼拝  

今週の「つどいの祈り」:  全能の神様。あなたのみことばが世に降るとき、みわざが起こります。多くのことに心奪われている私たちが、顔を上げ、みことばに聴き、みわざを仰ぐことができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン



○待降節第2主日 説教

            マラキ3:1-4 フィリピ1:3-11 ルカ3:1-6

       「 備えられた道 」 

アドベントクランツに二つ目の火が灯りました。今週と来週は洗礼者ヨハネについての物語を福音として聞きます。ヨハネは祭司ザカリヤの子として生まれましたが、成長すると都ではなく荒れ野で生活をします。そして神の言葉を聞いたのです。神からの啓示を受けたヨハネは、すぐに行動します。ヨルダン川沿いの地方一帯で罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼を宣べ伝え、来るべき方をお迎えする準備を人々共に始めたのです。

 ここに引用されているのはイザヤ書40章のからのことばです。マタイやマルコと比べるとやや長めであり、最後の《人は皆、神の救いを仰ぎ見る》(3:6)が強調されています。つまり、主イエスの出現は、単にユダヤ人の救いのためだけではなくて、肉なる者、すなはち、すべての人間の救いのためにほかならない、ということをルカは示唆しているのです。《主の道》とは「主のための道」であり、第一の日課であるマラキ書では神からの使者が《わが前に道を備える》(マラキ3:1)と言っている道です。神の使者たちが証していたお方をお迎えする道。ヨハネは、その救い主がやってこられる道をまっすぐにするだけでなく、谷を埋め、山と丘を低くし、すべてのでこぼこをならす働きをします。それが、悔い改めの洗礼です。

ギリシア語では「ハマルティア」という言葉が「罪」として用いられていますが、これは本来「的を外れる」という意味の言葉です。矢が的に向かわずとんでもないところに飛んでゆくという意味です。つまり、私たちは本来向かうべき存在である神に向かわないで、別なところに向かってしまっている状態が罪にある状態です。

 ヨハネの呼び声は、神の前に立つあなたは、今どこを向いて生きているのか?という問いと共に「神の御子はあなたに出会うために近づいて来てくださっている。その知らせがあなたにもたらされている、あなたはその知らせにどのように応じるのか?あなたに近づいて来ておられる方は、あなたがそのお方の到来に気づき、迎える備えをするようにと期待されている。そのお方は、あなたが恐れや迷い、罪や誘惑に悩まされる時、あなたと共にそれらと闘うために来る。なぜなら、あなたを罪から解放し、赦しの中で生きるようになさるためにおいでになるのだから。」という呼びかけにも聞こえてきます。

 人間はいつの時代も自己中心的な誘惑に弱く、戸惑い、迷い、見当違いの方向に突っ走ってしまうものです。しかし、そのような私たちのもとに、主イエスは肉体を持った人としておいでになりました。人間の混沌の中に、救い主はお生まれになるのです。真の神なるお方が、真の人として、私たちのただなかに生きたということは、私たちがどのような状態、どのようなところに置かれていようとも、主イエスはそこに訪れてくださる。そこで私と共に生きる者となるために来てくださるのです。

 ヨハネの《悔い改めよ》の叫びは、そのような来るべき方へと私たちがしっかりと目を向け、耳を傾け、備えることができるように導く声です。救い主の誕生を待つこの時、この最後の預言者の勧めに従い、まっすぐに私たちへ向かって来てくださる主イエス・キリストをわたしのところにお迎えいたしましょう。(岡田)



                    

《 来週の礼拝 》                              

#12月15日 午前10時30分 待降節第3主日 礼拝 

*司  式:小泉 基牧師
*説  教:小泉 基牧師「わたしはどうすれば」
*奏  楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:楢戸恵子さん
*礼拝当番:青木比呂子さん、小笠原里子さん
*聖  書:ゼファ 3:14-20、フィリピ信徒への手紙 4:4-7、ルカ 3:7-18 *讃 美 歌: 5番(1,4,5)、13番(1-3)、教団97番

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