12月1日「今日の礼拝堂」

待降節第1主日 礼拝  


今週の「つどいの祈り」:    万物の創造者、永遠の神様。すべてはあなたによって治められます。救い主の到来を、賛美と祈り、信仰と希望のうちに待ち望む私たちにしてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン


                    エレミヤ33:14-16 テサロニケ一3:9-13 ルカ21:25-36

         「 その日に備えて 」

教会の暦の上では今日から待降節(アドベント)にはいりました。新年最初の主日に選ばれている福音の日課は先週に引き続き世の終わり=終末への心備えを促すものです。一年の終わりと始まりにこのような日課の配置となっている理由の一つは、私たちが生きている/生かされているこの時が、確実にその日(終末)に向かって進んでいるということをあらためて心に刻むためだと思います。その日、その時がどのようにして訪れるのか?ここ数年の異常気象や天変地異、人災の最たるものである戦争や紛争が止まない状況を見聞きする度に私たちはその日が近いのではないかと戸惑いや不安を感じていると思います。でもだからこそ、私たちは不意に罠のようにやって来て、襲いかかかるかもしれなことに必要以上に怯え、右往左往するのではなく、主イエスの声に耳を傾けるように促されているのではないかと思うのです。

今日の福音の日課にはいくつかのキーワードがあります。一つ目は32節の《すべての事が起こるまでは》です。これは、その“すべての事が起きる”タイミングや順番や時期をご存知なのは主イエス、あるいは神だけであるということを心に刻みなさいということではないでしょうか。二つ目は《わたしの言葉は決して滅びない。》(33節)です。ここにある御言葉とは、イエスが語られた言葉のみならず、主イエス・キリストご自身を通して顕かにされたすべての事を含んでいると思います。限りある肉体をもってお生まれになっただけでなく、出会う一人ひとりと向き合って、十字架に進み、死んで葬られ、三日目に復活された主。十字架の前ですべての希望を奪われ、自分自身にも絶望し、俯くしかなかった弟子たちは復活の主と出会った時に、この時には隠されていたことも理解できるようになりました。そして、一人ひとりの心の中にはもう二度と消えることのない希望の光が灯されたのです。

こうして礼拝に集っている私たちの間にも目には見えなくても主イエスが共にいてくださいます。また、ここに共に集うことが叶わない者たちがいても、すでに天に上げられた者たちも、信仰という恵みによって今なお深い交わりがある事を私たちは知っています。その一つ一つのかけがえのない交わりに思いを巡らせながら、私たちはキリストを頭とした生きた交わりの内に今も保たれていることをあらためて知らされているのです。主が《人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい》(21:36)と言われているのはそのためではないでしょうか。

いずれ誰もがこの地上での生涯を終える時が来ます。この世の終末の前に、人生の終わりの時が来るかもしれません。経験してみなければわかりませんが、恐ろしいだけのことではないように思います。なぜなら、主は“あなたのために場所を用意している”と約束されているからです。主が来られるその日まで、私たちは《目を覚まし》《祈り》つつ、今日という日が主によって祝福され、愛と希望に満ちた日であることを証ししてゆきましょう。(岡田)

                   


《 来週の礼拝 》                              

#12月8日 午前10時30分 待降節第2主日 礼拝 

*司  式:岡田 薫牧師
*説  教:岡田 薫牧師「備えられた道」
*奏  楽:若井裕子さん
*聖書朗読:蔵谷俊夫さん
*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん
*聖  書:マラキ 3:1-4、フィリピ信徒への手紙一 1:3-11、ルカ 3:1-6
* 讃  美 歌:4番(1,3,4節)、7番、教団96番

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