10月13日「今日の礼拝堂」
聖霊降臨後第21主日 礼拝
アモス5:6-7,10-15 ヘブライ4:12-16 マルコ10:17-31
今週の「つどいの祈り」: 神様。あなたは、思い煩う私たちをご存じです。人知でははかり知ることができない、あなたの愛とみわざを信じる信仰を私たちにお与えください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン
〇 聖霊降臨後第21主日 説教 (説教要旨)
「 富 を 積 む 」
弟子たちは去って行った金持ちの人と自分たちを瞬時に比較したのだと思います。彼のようにお金ないけれど、自分たちは故郷も捨てて、家族も置いて主に付き従っている。そんな自分たちすらも神の国に入れないと言われてしまったらどうしよう?もし、そうであるなら一体誰が救われるのか?どのようにすればいいのだろうか・・・と不安になったのだと思います。弟子たちの思考は去って行ったお金持ちの人と同じように《永遠の命》、《神の国に入る》こと・・・つまり救いの確信は自らの行為で得られるという思い違いです。
どうすれば救われるのか、どうすれば永遠の命を得ることができるのか?という問いは、この物語だけに限らずいつの世にも私たち人間が持ちうる疑問であり難問だと思います。この問いに対して主ははっきりと《人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ》(10:27)と、結論を告げられました。そうです、私たち人間の救いは、人間にできることではないのです。あなたがたは“自分が救われるためにすべきことは何か?どういう者が救われるのか?ということを考えるべきではない。むしろ救いを求めるのであれば、神の憐みを求め、その憐みの内に生きることを考えよ”と言われているのではないでしょうか。
主は永遠の命は人が獲得するものではなく、神から与えられる恩寵であること、また、その恩寵の中に生かされるということは、この世の思惑やこの世の序列とは異なるものであることを明らかにされています。物語の前半に登場する金持ちの人は、この世の権力の象徴かもしれません。人は持たなかった時にはそうではなくても、ひとたび権力や財力、影響力を持つとそれらを手放すことが難しくなることは、私たちも経験的に知っています。主がこの人に持っているものをすべて売り払い、貧しい人々に施しなさい、と命じられたのは、彼自信が神への信頼をもって生きる者へと変わるチャンスを示されたのです。
けれどもその人はそのチャンスを手放し、主イエスのもとから去ってしまいます。何もかも捨ててあなたに従ってきた、と主張する弟子たちもわかっていません。それでも主イエスは、彼らをお見捨てにはなりません。今すぐには理解できなくても、主に伴い、その言葉、その行いから学び、永遠の命へと招かれると約束されるのです。思い違いをしていても、今すぐには理解できなくても、主イエス・キリストの愛のまなざしの中に捉えられ、真理に触れる者たちは方向転換することができるのです。勝ち取りに行くのではなく、恵みに与る者として、私たちを愛し、慈しみ深く哀れんでくださる方への信頼を持つように促されていく・・・。このことを知らされ、教えられ、その事実に生きる者とされていく中で、私たちは天に富を積む者とされていくのです。罪ある者がその罪を抱えたまま、主によって義とされる・・・神の恵みによって、神からの愛を知る者となった私たちは、隣人のために祈る者、恵みをわかちあう者として世に立てられているのです。私たちがここに生きることができているのは、だた、神の愛と憐れみと恵みによります。これこそ、神の独り子である主イエス・キリストが私たちに示してくださった真理です。(岡田)
《来週の礼拝》
#10月20日 午前10時30分 聖霊降臨後第22主日 礼拝
*司 式:小泉 基牧師
*説 教:小泉 基牧師「沈黙のさきへと」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小笠原里子さん
*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん
*聖 書:イザヤ 53:4-12、ヘブライ 5:1-10、マルコ 10:35-45
* 讃 美 歌:352(1-3),同(4-6)番、増補版34番

