10月6日「今日の礼拝堂」

聖霊降臨後第20主日 礼拝  

今週の「つどいの祈り」:   神様。あなたは愛です。そして私たちは、あなたに祝福され、あなたにかたどって造られたものです。私たちが御心に従い、互いに助け合い、愛し合うことができますように。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン

〇 聖霊降臨後第20主日   説教 (説教要旨)

        「 神 の 国 」

         創世記2:18-24 ヘブライ1:1-4,2:5-12 マルコ10:2-16

当時の結婚は、現代のものとは随分違っていました。社会は男性中心でありますし、女性は保護されるべき存在であり、時には財産の一部のように考えられていました。結婚も当事者間の個人的な意思や同意よりも一族の存続が重視されていたようです。ですから、基本的には夫は妻を所有物のように扱い、妻を気に入らなくなれば理由をつけて離縁状を渡せばいつでも追い出すことが可能だったのです。これは男性だけに認められた権利でした。質問者たちは《モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました》(10:4)と答えているように、離縁状による「正当な離婚」と考える風習があることを知っています。承知の上で、主イエスに問答を仕掛けているのです。

これに対する主の答え《あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。》(10:5-9)は、質問者たちが言うように律法に定められている離縁状をもって正統に妻を離婚するという手続き-夫が妻を気に入らないなどという身勝手な理由で気まぐれに結婚を終わらせようとする一方的な特権-を無効にするものでした。主イエスは結婚とは人が勝手にくっついたり離れたりするものではなく、神によって備えらえた恵みであるということを彼らに思い起こさせようしているのです。

長年キリスト教の歴史では、ここをもとに離婚の禁止を強調する傾向が強かったと思いますが、私はそのように用いることには懐疑的です。共に生きることが祝福とはいえない状況になったとき、別の道を歩むという選択も許されていると思います。大切なのは、どのような時もお互いを固有の人格として敬意をもって遇することではないかと思うからです。そしてこれは、男女の関係だけでなく、大人と子どもの間でも大切にされるべきことだと思います。13節からの物語ではまたしても弟子たちが自分たちの無理解を露呈する事件が起こります。子どもたちを祝福してもらおうとして主のもとへ連れてきた人たちを叱ったのです。これに対して主は憤り《子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。》(10:14-15)と言われました。弟子たちにしてみれば、子どもたちのような半人前、小さな者たちは主イエスの側にいるべきではないと考えたのかもしれません。当時の常識ではそうかもしれません。しかし、主イエスは違います。主の前では女と男が平等であるように、子どもと大人も平等なのです。一人一人が唯一の存在として愛され、祝福されている者であると主は示されます。

「神の国」とは神が愛されている者たち、神に愛されていることを知る者たちのもの。主は弟子たちにも今日この物語を福音として聞いている私たちにも「あなたたちもこの幼子たちのように神の子どもだ。神の子として生きなさい。」と呼びかけてくださっているのではないでしょうか。(岡田)                 

《来週の礼拝》                              

#10月13日 午前10時30分 聖霊降臨後第21主日 礼拝 
*司  式:岡田 薫牧師
*説  教:岡田 薫牧師「富を積む」
*奏  楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:蔵谷俊夫さん
*礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん
*聖  書:アモス 5:6-7,10-15、ヘブライ 4:12-16、マルコ 10:17-31
* 讃  美 歌:188番、370番、増補版34番

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