「傷つく勇気」小泉基牧師
2026年5月24日
ヨハ20:19-23 使 2:1-21 1コリ12:3b-13
■避難所での「不本意な出会い」と男性の変化
かつて牧師が赴任していた教会で熊本地震の避難所を運営していた際、高齢の引きこもりの男性を受け入れた。男性は家族を亡くしたあと一人で暮らしていたが、自宅が全壊。避難所で配給の列に並べず、3日間も絶食していたところを、近隣の教会の牧師の紹介で、わたしたちの教会避難所へ移ってきた。
男性は避難所でも誰とも口を利かず、一日中難しい顔で天井を睨みつけていた。しかし、ボランティアと全壊した自宅へ戻った際、わずかな衣服と共に大切な家族の大きな遺影を持ち帰ってきた姿が強く印象に残る。
数週間が経ち、新しいアパートが決まった日の夜から、男性は周囲の語りかけに少しずつ反応を示すようになった。引っ越しの段取りが整う頃には、わたしたちに自ら話しかけてくれるまでになり、不本意な震災をきっかけに、長年恐れていた他者とのコミュニケーションを奇跡的に取り戻していった。
■弟子たちの絶望と「聖霊の息吹」
この男性の姿は、聖書に登場するイエスの弟子たちと重なる。弟子たちもまた、信頼するイエスを敵対勢力に惨殺され、置き去りにされるという「不本意な現実」に直面していた。
復活したイエスは弟子たちの前に現れるが、国の再興を期待する彼らに対してそっけなく、「聖霊の力を受け、わたしの証人となる」と言い残して再び去ってしまう。呆然とする弟子たちに、やがて五旬節の日に激しい風のような音と共に「聖霊」が降った。それまで家に閉じこもっていた弟子たちは、扉を開けて外へ飛び出し、大胆にキリストの十字架を語る「証人」へと変貌したのである。
『ヨハネによる福音書』でも、ユダヤ人を恐れて鍵をかけた部屋に閉じこもる弟子たちの前にイエスが現れ、「あなたがたに平和(シャローム)があるように」と告げる。弟子たちにとっての平和とは「外の敵から守られる安全」だったが、イエスは「わたしもあなたがたを遣わす」と、危険な外の世界へ出て行くよう命じた。
しかし、イエスは彼らを無防備に送り出したのではない。イエスは彼らに「息(聖霊)」を吹きかけた。かつてアダムが神の息によって生きる者となったように、弟子たちもイエスの息吹を受けて新しく生まれ変わり、世へと派遣されるものへと生まれ変わっていったのである。
■「傷つく勇気」を持って歩み出す
私たちは変化や他者を恐れ、傷つかないために自分の殻に閉じこもりがちである。しかしイエスは私たちを慰め、励まし、人と人との世界へと送り出される。
先述の男性はアパート転居後、デイケアに通うようになり、おだやかな笑顔を見せるようになった。彼の没後、葬儀の席で、親族から「避難所で過ごした日々は、彼の人生で一番おだやかで楽しい時間だった」と告げられた。そこにも確かに聖霊の息吹が注がれていたのだと確信させられる出会いであった。
わたしたちもまた、不本意な現実の中で傷つくこともあるかもしれない。しかし、イエスが十字架の上でその傷を引き受けてくださったことを知る私たちは、聖霊の慰めに支えられ、恐れずに新たな一歩を踏み出すことができる。そのことを信じて世へと派遣されていく者でありたい。-了

